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金融商品と税制(11)

category: その他
第96号(2017年11月01日発行分)

中島 健雄

「バブル」は歴史上、何回も起こっていますが、崩壊してはじめて「バブル」であったことがわかるのが実情です。今回は著名な「バブル」についてご説明いたします。

オランダのチューリップバブル

「バブル」というと真っ先に挙げられる有名な事件で17世紀の初頭にオランダで起こりました。16世紀末にトルコからオランダに持ち込まれたチューリップは、模様の変化を引き起こすモザイク病の影響もあり珍重され、球根が高い値段で取引されるようになりました。その結果、チューリップ商人が大量に球根を買い入れ、次第に一般の人々も追随し、ついには一つの球根で家が買えるほど価格が上昇しました。しかし、1637年に突如球根の価格が暴落し瞬く間にほとんど値がつかない状態となりました。

英国の南海バブル

「バブル」の語源となった事件で、18世紀の初頭に英国で起こりました。
 1711年に設立された南海会社(South Sea Company)は、政府債務を肩代わりする代わりに南米貿易権を独占的に与えられました。当時南米貿易は儲かると考えられていたため、同社の株式発行に人々が殺到し株価は上昇しました。南海会社は何回も新株を発行し、その都度株価は上昇を続け、1720年には当初の10倍以上になりました。しかし、1720年に同社の経営者による株式売却のニュースが伝わったことから株価は暴落し「南海の泡(バブル)」が破裂するように跡形もなくなりました。

日本のバブル

日本でも1980年代から90年代初頭にかけて「バブル」が発生しました。
 この時期の日本経済は、年率6%近い成長が続き先行きに強気の見方が生じている中、プラザ合意後の円高抑制のため日本銀行が金融緩和政策を継続しました。そのため、資産価格の先高観が強まり株価や不動産価格が急騰しました。しかし、実体の伴わない資産価格の高騰に危機感を感じた日本銀行は、89年半ばから金融引き締めに転じ、また、大蔵省(当時)が不動産価格抑制のため不動産融資の総量規制を導入したことから、株価は1989年末をピークに、不動産価格も91年から下落に転じ、「バブル」は崩壊しました。不動産の公示価格は都市部を中心に、最近になってようやくバブル時の価格を上回りましたが、株価に関しては日経平均は、約30年を経た現在でも1989年12月29日の3万8957円(ザラ場)を上回っていません。
 なお、バブル崩壊については、1988年に米国でブラックマンデーが起こり、日独機関車論から引き締め政策が遅れたことに加え、バブル崩壊後も日本銀行等が適切な対応をとらなかったことから、その後日本経済の長期停滞を招いたといわれています(注)。

2000年代初頭のITバブル

1990年代後半から米国ではインターネットなどのIT(情報技術)の発展・普及により経済が爆発的に成長するという「ニューエコノミー論」が台頭し、IT企業が多い米ナスダックの株価は1995年から2000年にかけて6・5倍の水準まで上昇しました。しかし、IT化による実際の効果が明らかになってくるなか、連邦準備制度理事会(FRB)が金融引き締め政策に転じたため株価は2000年3月12日の5132ポイントをピークに下落に転じ、2002年10月10日には1108ポイントまで下落しました。
 日本でも当時は携帯電話の販売会社である光通信の株価が急騰し、さらに光通信が出資しただけで出資先の株価が「光もの」として急騰する事態となりました。

仮想通貨バブル?

ビット・コイン等の仮想通貨は足元急騰しておりバブルではないかといわれています。バブルは崩壊して初めてバブルとわかるものですが、過去の事例を踏まえると金融緩和の継続、価格評価の基準がない、技術評価の困難性、過去のバブル時と価格推移の類似などからバブルである可能性は払拭できないと思われます。

(注)当時の日本銀行の三重野総裁は「『平成の鬼平』と言われバブル潰しに執念を燃やしましたが、崩壊後の対応が遅れその後の日本経済の停滞を招いたといわれています。一方、リーマンショック時の米国FRBのバーナンキ議長は,恐慌が専門の学者であったことから量的緩和や金融機関の救済等の対応策をただちに実施し、少なくとも米国についてはその後の立ち直りを速めたといわれています。

税務総合戦略室便り 第96号(2017年11月01日発行分)に掲載

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