前号では、『富裕層は時代を映す鏡』と題して、海外への資産移転や海外移住を行い、我が国特有の「カントリーリスク」を回避しようとする富裕層の動きをお伝えさせていただきました。その際に、2010年10月3日発売号の『週刊ダイヤモンド』を冒頭で引き合いに出させていただきましたが、前号の原稿脱稿後に、何かしら腑に落ちない感情が残っておりました。
それは何か。今、あらためて『週刊ダイヤモンド』を手にとって気づきました。表紙には大きくタイトルとして「日本を見捨てる富裕層」と書かれています。
巨額な財政赤字、高い税負担、円安・株安、震災および原発事故、そして後手後手にまわる政府の対応。これら我が国特有の「カントリーリスク」を回避するために、海外への資産移動や海外移住といった対策を講じる。一見すると、まさに「日本を見捨てる」行為に映ります。
しかし、果たして本当に、それが本質なのでしょうか。私は、強い違和感を抱いています。私の結論はまるで逆のものです。それは、「日本を見捨てる富裕層」ではなく、「日本を救う富裕層」ということです。
本稿では、何故に、私がそのように結論付けるに至ったかをお伝えさせていただきます。
前号では、富裕層、つまり個人の動きに焦点をあてましたが、何も、資産の海外移転や海外移住は個人に限ったことではありません。至極当たり前のことですが、企業も同様です。
1985年のプラザ合意以降、円高局面が続く中では、都度、日系企業の生産拠点の海外への移転が進められてきました。
それは、グローバル化する経済の中で、日本企業が生き残っていくための必要かつ合理的な選択だったのです。昨今も企業の海外移転は進んでおり、歴史的な円高が理由にあげられていますが、プラザ合意の頃とは、他の外的要因が大きく異なります。
円高のみならず、原発事故による節電、復興のための増税、そして、日々悪化を続ける国家財政、企業にとって負担やリスクは増えるばかりです。これからますます企業の海外への移転は加速していくことでしょう。
ここでひとつの疑問を投げかけたいと思います。これらの企業の行為は、果たして日本を見捨てる行為なのでしょうか。私にはそうは思えません。
巷間言われておりますように、企業の最大の目的のひとつは、ゴーイングコンサーンであることは論を俟たないでしょう。ゴーイングコンサーンとは、本来は、企業の事業継続を無期限と仮定し、廃業や財産整理などをしないことを前提とする企業会計の考え方ですが、実際には少し異なる使われ方をしています。
それはとどのつまり、企業は雇用を創出し、商品やサービスを生み出す経済活動の核をなす存在であり、その存在が継続されること自体に、社会的な責任があるということです。であるならば、前述した企業の行為は、まさに最大の目的を達しようとするための、最適な選択ということにならないでしょうか。
逆に、「日本の企業だからどんなに環境が悪くても、国内で事業を行うべきだ」などといった、グローバルな経済環境を考慮に入れない情緒的な選択をとれば、たちまちその存続自体が危うくなり、最悪の場合、倒産に追い込まれます。雇用の場が失われ、財やサービスが消滅するのです。それでは本末転倒でしょう。
企業を個人に置き換えても、同じことが言えるのではないでしょうか。つまり、前号でとりあげた富裕層の海外への資産移転や移住も、自己という存在をゴーイングコンサーンするために合理的な選択をとっているに過ぎないのです。企業も個人も、変わらずにいるには常に変わり続けなければならないのです。
それでは企業体ではない彼らは一体、何を懸念して海外へとその足を向けたのでしょうか。高い税負担、円安・株安、震災および原発事故……。様々な要因があることは事実ですが、やはり一番の不安要素は、国家財政の破綻なのです。
本会報でも5年ほど前から、幾度にわたり、国家財政破綻の危機についてはお伝えしてきました。今回の原稿執筆に際して当時の会報を読み返しましたが、予想を上回るスピードで財政は悪化の一途を辿っていることに、驚きを禁じえませんでした。懸念は杞憂には終わらずに、現実は予測を遥かにしのぎ、一歩一歩、破綻への階段を登っているのです。
それでも、「そうは言っても、なんとかなるでしょう」と多くの方が感じているのだろうと思います(本会報の読者はそうではないと思いますが)。
私はそういう方に投げかけたい疑問があります。それは「もし明日、あなたの住まいを巨大地震が襲うとしたらどうしますか?」というものです。おそらく全員が、しかるべき準備をした上でその場を離れることでしょう。阪神大震災が、東日本大震災があったように、私たち日本人は地震というものが現実に訪れることをよく知っています。しかし、地震国でない国の国民に対して、この質問はリアリティをもたないことでしょう。
財政破綻も同じことだと思うのです。戦後世代の日本人は、財政破綻を経験していません。戦後の奇跡的な高度経済成長を経験し、その後、バブルの崩壊や長引く不況は経験していますが、財政の破綻は経験していないのです。
しかし、世界に目を向ければ、ロシア、アルゼンチン、トルコ、近隣諸国では韓国、近年では、アイスランド、そして現在は、ギリシャがその危機に見舞われています。これは紛れもない事実であり、私たちは、新聞やテレビなどメディアを通じてそのことに触れます。ただ、大半の方にとって、対岸の火事にしか映らないというのが実際のところでしょう。
ところが、そのように映らない、つまり「もし明日、あなたの住まいを巨大地震が襲うとしたらどうしますか?」という問いと同じ、いやそれ以上のリアリティを持って、財政破綻を避けられないものとして捉えている人もいるのです。それが、前号から紹介している富裕層たちなのです。
彼らは冷静に物事を分析し、時代のちょっと先を想像することのできる能力を持っています。ゆえにこそ、富裕層になったのです。彼らは、国家破綻を避けられないものだと捉えています。それは換言すれば、今の政治を見切っているということです。もはや日本の政治は、この事態を回避できる策を持ち合わせていないと判断しているのです。
政治家は選挙に受からなければただの人です。選挙に受かるためには、より多くの一票を集める以外に方法はありません。そのために、子ども手当てや高速道路無料化に象徴されるように、目先の利益ばかりを謳います。長期的なビジョンや国家観よりも目先の利益を言っていればいいのだと、政治家が国民を見下しているのです。そして、実際に当選してしまうのです。
結果、選挙が終われば公約はいつの間にか忘れられ、目先の利益すらかなわず、総理大臣は短期間のうちにコロコロと変わり、その陰で本質的な問題は先送りされていくのです。
では、実際に財政破綻が起きると日本はどうなってしまうのでしょうか。日本の財政赤字の大半は国債であり、その引受手は銀行をはじめとする国内の金融機関です。そしてその金融機関にお金を預けているのが私たち日本人なのです。
財政破綻とは、有り体に言えば、借りたお金が返せなくなるということですから、日本の場合、国の借金と国民の資産が相殺されるということになります。
同時に通貨の信任もなくなりますので、日本円の価値がさがり、紙くず同然になり、インフレが生じ、企業倒産も相次ぎ、失業率が高まります。最終的には、IMFやADBなどの国際通貨機関の管理下におかれ、厳しい制限が課され、大増税、年金カットも当然避けられないものになるのです。それはまさに、景色こそ違えど、戦後の焼け野原のような状況といえるでしょう。しかし、韓国がそうであったように、一度すべてが清算されるわけですから、その後の回復は目覚しいものがあるのです。
ただ、それは、破綻の状況によるのです。何にでも程度というものがあるように、破綻にも、その程度が存在します。私の敬愛する税理士の友人は、「日本は一度、破綻しないと駄目だ」と常々言っています。私も同感です。先延ばしばかりを繰り返せば、破綻後も二度と立ち上がれないように、本当に取り返しがつかなくなってしまうことでしょう。一縷の望みすら断ち切られるような絶望的な破綻は避けなければならないのです。
戦後の焼け野原から、人類史でも例を見ないほどの奇跡的な発展を成し遂げたように、日本人は一度どん底を味わえば、覚醒し、凄まじいまでの力を発揮するのです。そしてその時にこそ、前述した海外に移転していた企業をはじめ、一時的に難を逃れていた富裕層が、祖国の再建にその蓄えていた力を使うのです。
彼らは、日本のことが嫌になり、海外へ逃げたのではありません。ただ、沈没していくことがわかっている船に手を拱いて乗っていることができず、一時的に難を逃れているに過ぎないのです。来るべき日に、祖国のために自らの能力や資産を温存しているのです。
仮に、企業にせよ、個人にせよ、みなが日本国内にとどまり続ければ、誰も余力のある存在がいなくなってしまい、日本は日本ではなくなることでしょう。
このような視点で捉えれば、前号で紹介した富裕層の動きが、日本を見捨てるのではなく、やがて日本を救うことになるであろう礎になることがご理解いただけると思います。
これらのことを、自分には関係のない一部の人たちのことだと捉えずに、一度自分のこととして考えて行動してみることをお勧めします。私も様々な方たちとの交流の中で触発され、香港、シンガポール、マレーシアなどをはじめ世界各国を訪れ、世界から日本を考えてきました。
この高度な文明社会においては、時間的にも空間的にも世界は狭小になるのです。数時間という時間と航空機を使えば、眼前には異なる世界が広がっているのです。
近い将来、必ず来る国家の危機に備えて、新天地としての海外を実際に知っておくことは、自らの身を守る術の準備のみならず、人生そのものを豊かにしてくれることでしょう。
最後に、英国の作家、サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)の世界的名著『自助論』の序文にそえられた言葉を紹介した上で、私の考えを述べ、本稿を閉じたいと思います。
「天は自ら助くる者を助く」
まさしくそうでしょう。そして、そこに付け加えたいのが、自らを助けることができずして、何故に、家族を、社会を、国を、助けることができるのか、ということです。
私はそう考えています。
税務総合戦略室便り 第33号(2011年11月01日発行分)に掲載
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