開業以来、多くの経営者にお会いしてきました。仕事柄、税務会計に関するやり取りが大半を占めるのは当然ですが、お付き合いが長くなるにつれ、事業経営を行う上での悩みを伺う機会が増えてきます。事業の種類や規模の違いこそあれど、事業経営を行う上での経営者の悩みは、「ヒト」「モノ」「カネ」に収斂されます。
中でも「ヒト」に関しては、経営者であれば、誰しもが必ず直面する問題といっても過言ではありません。
かくいう私自身も、税理士でありながら、グループ会社も含め合計5社の経営をしており、「ヒト」に関する悩みは、開業以来、片時も頭を離れることがありません。ただ、経営上の「ヒト」に関する悩みといっても、その範囲は広く、様々なケースが考えられます。
しかしながら、ある大きな問題について論じる際に、全体を筋道立てて網羅的に説明していくよりも、その問題を極めて象徴的に表している細部を取り上げるだけで、端的に問題全体の本質をあぶりだすことが可能な場合があります。たとえば、「国家と個人の関係」という壮大なテーマにしても、昨今の原発事故への国の対応といった細部に焦点をあてるだけで、如実にその本質が示されるように。
したがって、本稿では、私の経営者としての経験に基づき、「会社は人を育てることが可能なのか」を切り口に、「ヒト」に関する問題の解決策の一助をお示しできればと思います。
結論から申し上げますと、私は、「会社は人を育てることはできない」と考えています。人はひとりでに育つのです。会社としてできることは、人が育つための環境を与えることくらいしかできないのです。
このことは、植物の成長を例にとれば容易にイメージすることができます。庭に苗木を植えたとしましょう。この時、人間が苗木に対してできることは限られています。せいぜいが、日光がよくあたる場所に植え、適切な量の水と肥料を与えることくらいでしょう。
結果、苗木は日光を浴び、土から栄養を吸収し、雨水を取り込み、呼吸し、成長していきます。細々としていた茎は太い幹となり、枝葉がその数を増やしていき、やがて、たわわな実を結ぶことでしょう。中には、実を結ぶに至らず、枯れ果て、土に帰す場合もあるでしょう。
いずれの場合にせよ、人間は苗木の生育そのものには、直接的に関与できないのです。昨日より1センチ伸びた苗木があるとしましょう。この1センチは、決して人間が引き伸ばしたのではないのです。当然のことですが苗木自体が自ら伸びたのです。人間ができるのは、1センチの成長がしやすい外的な環境を整えることくらいしかできないのです。
会社における人材育成に関しても、私は同じだと思います。人が育ちやすい環境を用意することくらいしかできないのです。成長とは、苗木がそうであるように、常に自発的なものなのです。ところが、自分が苗木自体を1センチ伸ばせる、と思い込んでいる人が非常に多いのです。まるで手品のように人間の存在をコントロールできるものだと思い込んでいるふしがあるのです。「どうしたら部下を育てることができるのか」といった内容のマニュアル本やセミナーなどが巷を賑わせているのは、その証左に他ならないと私は感じています。
私はこのような風潮に人間の思い上がりを感じます。このような思い上がりは、権力に由来しています。権力は、それを手にした人間を勘違いさせる魔力があります。人材育成はその対象が、新卒採用であれ中途採用であれ、会社側からすれば新しい人になります。つまり、スタート地点から上下関係が存在するという構造があり、自ずと会社側が権力を持ってしまいます。そして、「新人を育てる」という役割が、社内のみならず、いわば社会的な常識として与えられてしまっているため、担当者は疑いもなくその役割を果たすことに心血を注ぐのです。
つまり、善意でもって人間を自分仕様に育てようとしてしまうのです。この最初のボタンの掛け違いが、やがて大きくなり、齟齬を生み出すのだと私は考えています。繰り返しになりますが、人を育てることなんてできないのです。まずは、その前提に立つことが大切なのです。
ではどうしたらよいのか。答えはいたってシンプルです。実も蓋もない話になるかも知れませんが、「ひとりでに育つ人」を採用すればいいのです。それは、一体どんな人なのでしょうか。私は、責任感、協調性、向上心、そして、素直さといった人間の核となる素養をしっかり持っているか、つまり、その人の性格や人格を最大に優先します。
ただし、人間は非常に複雑怪奇な存在ですから、これを見極めるのは並大抵のことではありません。採用面接とは、いわば損得勘定について上品にやり取りする場でもあるわけですから、どうしても自分をよく見せようと、応募者に限らず、採用側も演じてしまうものなのです。さらに、そこに人の好みが大きく左右してきます。ある人にとっては、余人をもって代え難い人材に映っても、別な人にとっては、そうは映らないことなど日常茶飯事です。ですから我社では、客観的な指標としてDPI(職場適応性テスト)を用いています。もちろんこれで万全とはいえませんが、判断基準を複数持つことは大切だと思います。
次に会社との相性です。いくら素晴らしい人格の方でも、会社との相性があわなければ長続きしません。これは、採用面接の段階で、懇切丁寧に会社の経営理念や方針、事業内容、雰囲気などを伝え、それに対する相手の反応を見極めることが肝要です。そして最後に、その人間の地頭の良さを見ます。私は、学歴や学校の成績は、それほど重視しません。人にはそれぞれ人生のタイミングがあるものですから、たとえ学歴や学業の成績が悪くても、それはその時点でのことであって、地頭が良ければ一気に力がつくものです。
そして、採用後には、ひとりでに育つことのできる環境を提供すればよいのです。実際の現場では仕事の手順書が整えられていることが大切ですが、上司はこの手順書をもとに仕事のやり方を教え、適切なタイミングで自分の仕事の一部を任せるのです。決して上司と関係のない別な仕事や新しい仕事を任せてはいけません。別な仕事だとどうしても上司は部下に対して無関心になってしまうからです。その上で、責任は上司がとらなければなりません。失敗はすべて上司の責任、逆に成果をあげたらそれはすべて部下の功績なのです。
そして、最も大切なのは「上司がモデル足りうる人物か」という点につきます。「ひとりでに育つ」といっても、その人が目指すモデルが必要です。「育てる」というスタンスは、結局のところ「自分みたいになるんだ」と暗に強要するということです。そうではなく、新人が自発的に「この人みたいになりたい」と心から思えることが重要なのです。それが、つまるところ「ひとりでに育つことのできる環境」なのです。
そのためには、モデルとなる上司には、何かしらの圧倒的な凄みが欠かせません。仕事が速く、的確であることは当然ですが、それ以上に「この人にはかなわない」と思わせる何かがなければ、新人のモデル足りうることは難しいでしょう。大切なのは、上司が、仕事に対して、新人に対して、「愚公、山を移す(※)」の精神で向かい合うことだと思います。
※愚公、山を移す
【意味】どんなに困難なことでも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができるというたとえ。中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山をほかへ動かそうと、土を運びはじめた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向にひるまなかった。その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという故事に基づく。
出典:故事ことわざ辞典より(http://kotowaza-allguide.com/)
税務総合戦略室便り 第37号(2012年04月01日発行分)に掲載
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