これまでの連載では「成功の法則」と題し、「お洒落」、「成功の定義」、「人間関係」など様々な切り口で、私の考えるところの成功者についてお伝えしてきました。
繰り返しになりますが、私は最終的に成功者とは、「金持ち、時持ち、夢持ち」になることなのだと思います。ただし、ここでいうお金は、何も巨額なものでなくてもいいのです。その人にとって、必要であるお金が自由になればそれでいいのです。
そして、自分でコントロールできる自由になる時間があり、夢を持ち続けていること、それこそが成功者なのです。逆に、どんなにお金があっても時間の自由がなければ成功者とは言えないのです。同様に、時間とお金があっても、夢がなければそれも成功者とは言えないのです。また、夢があるだけではダメです。夢があり、その実現に向かい行動している人こそが成功者なのです。
かくいう私はと言いますと、28歳で税理士試験に合格し、会計事務所を開業して今年で42年になります。5年ほど前から、やっと「金持ち、時持ち、夢持ち」の状態にまでたどり着けたというのが正直なところです。
「金持ち」と自分で書くと自慢に聞こえるかも知れませんが、ここでいう「金持ち」とは金額の多寡には関係ありません。10億円あっても経済的自由を得られない人もいれば、年収300万円でも経済的に不自由を感じない人もいます。経済的自由とは人それぞれ異なるものなのです。
今回からは、私の42年の経営者人生を舞台に「お金」というテーマに焦点をあてて、連載していきます。
経済的自由について考えると、いつも思い出すことがあります。大学3年生の時、下宿の友人と一緒に東京は新宿の京王デパートのレストランに行ったときのことです。カレーライス、カツカレー、オムライス、スパゲティ、グラタンなど入り口のショーウインドウには多くのメニューが並んでいました。
隣にいた友人と、「今、いくらある?」と財布の中身を確認しました。私は内心「これだけしかないから、カツカレーは我慢してカレーにしておくか」などと思ったものです。その時、財布の中身を考えずに食べたいものを好きに食べたいと強く思ったものでした。
今になって思い返せば、この時に人生で初めて「お金持ちになりたい」という強い気持ちが芽生えたのだと思います。
もうひとつの「時持ち」とはどういうことでしょうか。いくら多額のお金を持っていても、そのために時間を自由にとれないのなら「金持ち」ではあっても「時持ち」ではありません。「時持ち」も「金持ち」と同様に、好きなときに好きに時間を使えること、なのだと思います。
たとえば私に関していえば、スケジュールに拘束されることなく、思いつくままファーストクラスで自由にどんな場所でも赴くことができます。先月はプライベートバンクを視察したいと思い立ち、ニュージーランドを訪れ、去年の暮れは金融事情を知りたいとドイツのフランクフルトに行ってきました。2月、4月には、ふらりと香港に足を向けました。
このようなことは、経済的自由と時間的自由があるからこそ可能なのです。つまり「金持ち」かつ「時持ち」であるからこそできることなのです。
そして、その上で、「夢持ち」でないといけません。いくらお金があって時間も自由でも、やはり「夢」がなければ成功者とは言えません。
私は今年で70歳になりましたが、エヌエムシイの代表としてグループ会社5社の経営をしております。その上で、会計事務所の新たなビジネスモデルをつくるべく元国税調査官の税理士を中心に組織した税務総合戦略室の立ち上げや、まったく新しいクラウド型の税務会計サービスなど、42年の経営者人生の集大成として業界初の試みに挑戦している真っ最中です。これが私にとっての現在の「価値ある目標」であり、夢なのです。
しかし、私自身はこの「金持ち、時持ち、夢持ち」の状態にいたるまで、30年を超える歳月を必要としたのです。決して一朝一夕にできるものではなかったのです。
お金というものは、人間が「おぎゃあ」と生まれからから死ぬまで誰にでもつきまとう厄介な問題です。お金が人を幸せにもすれば、不幸にもします。お金があれば選択肢が広がり、今と違う人生を送ることができるかも知れませんし、お金で揉めて人を殺してしまうことだってあります。
このように、お金が人生に与える影響はとてつもなく大きいだけでなく、誰しもが逃れられないテーマでもあります。
巷にはお金に関する本があふれています。その多くは「どうやったらお金持ちになれるか」というテーマに収斂しています。実際、お金持ちになる方法は色々です。わかりやすい例では、事業を起こし、株式公開し、創業者利潤として何十億というお金を手にするという方法もあれば、宝くじで高額当選するのもひとつの手であります。
しかし、このような方法は前者であれば相当な能力や運などが必要になりますし、後者の場合も当選確率は天文学的な数字になります。これでは広く一般に応用できません。
私の場合、コツコツと様々な事業を行い、少しずつ築き上げ、先述したように65歳頃になり、やっとお金の自由と時間の自由を手に入れることができたのです。
その間、試行錯誤を繰り返す中で「ああ、こういうことなんだ」とお金持ちになる一種のコツを経験知として体得してきたのです。ただ、今にして思えば、この「お金持ちになるコツ」を事前に知っていればもっと早く経済的自由を手に入れることができたのではないかと思っております。そして、株式公開や宝くじと異なり、一定の時間をかけ、方法を間違わなければ、誰しもが実践できるものなのです。
このことについて語るにはまず、第一に私のルーツからお伝えする必要があります。私のお金に対する考えは父の影響が大きいのです。
父は俳句を詠んだり、新聞に小説を発表するなど、いわゆる文人でした。頭が良く、プライドが高く、人に頭を下げることができない、まるで商売に向いていない方でした。
父は明治生まれで、三男二女の五人兄弟の長男でしたが、身体が弱く、大学卒業後に結核をわずらってしまいました。当時、結核は不治の病であり、父だけでなく次男と長女も大学生在学中に結核に罹患し、早世してしまいました。立て続けに子どもを亡くした父の両親の心境はいかばかりだったか。長男である父までも喪ってしまうのではないかと不安に襲われるのも想像に難くありません。そして、両親のみならず父自身もしのびよる死の影に対して神経質になり、仕事にも就かず、療養に専念したのです。
このような状況にもかかわらず、私を含む3人の子どもは無事に成人し、全員が東京の大学に進学し、卒業させてもらいました。世帯主が仕事をせずに、一体どのようにして、子どもを育て上げたのでしょうか。
その前に背景として私の祖父のことまで語る必要があります。祖父は婿養子として野本家に入りました。もともと野本家は磐城平藩の武士でしたが、主が戊辰戦争で戦死し、跡取りが女の子のみだったため、婿養子として祖父が野本家に入ったのです。
祖父の実家は醤油や味噌の醸造元でした。野本家に入った祖父は実家から仕入れを行い、味噌や醤油を売る商売を始めました。祖父が隠居した後、父は祖父の店を譲り受けたのですが、商売に向いていなかったのでしょう。すぐに店を畳んでしまいました。
とはいえ、生活のためのお金はどこかから捻出しなければなりません。そこで父がやむにやまれず選択したのが、家の一部を改造して店舗として貸し出す、というものでした。そして、そこから得た家賃収入を生活費にあてたのです。
さらに私が大学に進学する時には、父は生前に祖父が大事にしていた蔵と庭を解体したのです。その蔵の跡地に2世帯の入居が可能な長屋をつくり、向かいの庭にあった物置を改築し、1世帯の貸家をつくりました。そして、この家賃収入を私の学費にあてたのです。仕事をしていなかったため、父は銀行からお金を借りることができませんでした。したがって父は母をつかわし、母の実家からお金を借りてこさせ、貸家をつくったのです。
父は完成した貸家を前に腕組みをしながら、「お前たちの学費をつくるためにこういうことをしたんだからな」と言いました。私は黙って聞いていましたが、祖父の自慢の庭が壊されてしまったことに対する悔しさでいっぱいでした。
しかし、この父の選択により、私は東京の大学に学ぶことができ、卒業後も、税理士試験を受けるため、勉強することができたのです。途中、仕送りをしてもらっていることに気が引け、半年働いては仕事を辞め、残りの半年は勉強する、といったような生活をしていたため、結局、税理士試験の合格までは4年の歳月がかかりました。
父は多くを語りませんでしたが、ある日、試験合格を焦る私に諭すように告げてくれた言葉が今でも私の大切な財産です。それは、「お金を稼ぐことを急ぐな稼ぐ前にしっかりと勉強しろ稼ぎ始めたらずっと稼ぎ続けないといけないのがお金だ」というものでした。
父がこういった姿勢だったので、私は腰を据えて勉強することができ、今の自分があると思っています。そして、晴れて試験に合格し28歳の時、会計事務所を開業しました。その後、現在に至るまでの42年間、時には24億円もの借金を背負い、返済に苦しむなど経営者としてまさに「お金との戦い」を繰り広げ、やっと経済的自由を手に入れることができたのです。
父は家賃収入から仕送りをしてくれていましたが、おそらく汗水流して働いて得た収入だったとしたら、ドンと構えていられなかったのではないかと、私は今にして思うのです。結核をわずらい、やむにやまれずとった「不動産賃貸」という父の選択肢は、今で言うところの「不労収入」を生み出す仕組みだったのです。結果、子どもたちを無事に大学まで卒業させ、父自身も101歳で大往生を遂げるまで、経済的に子どもたちにも一切世話にならず、お金になんら困ることがなかったのです。
この「不労収入」こそが「金持ち、時持ち、夢持ち」となる秘訣なのですが、詳細は次回以降にお伝えいたします。
昭和初期の著者の父(右)と中央大学在学中に亡くなった叔父(左)
税務総合戦略室便り 第47号(2013年06月01日発行分)に掲載
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