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成功者になるための法則その4-2 
私が実践したお金の使い方5つのポイント

第48号(2013年07月01日発行分)
エヌエムシイ税理士法人 会長・税理士
野本 明伯

シリーズ成功の法則ですが、前回に引き続き「お金」に焦点をしぼり、お伝えしていきます。28歳で開業し、今日に至るまで42年間の経営者人生の中で、お金との格闘を続けてきました。その中で、「お金の使い方」について、私が実践した5つのポイントについてお伝えします。
 まずは、私の42年間の経営の軌跡を簡潔にお伝えし、その上で、次号から各々のポイントについて、様々なエピソードをもとに深堀していきたいと思います。

生家の六畳一間で開業

昭和48年、28歳の時、私は故郷いわき市にある生家の六畳一間で開業しました。廃材だった看板をひろってきて、群青色のペンキで塗り直し、その上から「野本税務会計事務所」と白文字で書いた看板をたてかけ、スタートしたのです。
 税理士資格の取得のためには、実務経験も必要とされますので、開業前、私は東京の会計事務所に勤めておりました。実際に税務会計の仕事をしてみて、日々帳簿の作成に追われる中で、正直、なんてつまらない仕事だろうと感じたものです。こんなことは自分のやることじゃないと思い、私は新人の身でありながら、人に仕事をふってばかりいました。
 そんな調子ですから長続きするはずもありません。ちょっと働いては、試験勉強をし、またちょっと働く、といった生活をしておりました。4か所目となる職場の所長先生に、
「野本君、君は人に使われる人間じゃない。人を使う人間だ。うちには必要ない」
と言われたのは、今でも昨日のことのように覚えています。
 税理士資格が取得できた時点で独立する心づもりでした。合計、4か所の会計事務所で2年弱勤め、故郷福島県いわき市に戻り、昭和48年に開業しました。

コンピューター会計時代をにらんでの先行投資

私は、これからはコンピューター会計の時代だとにらんでおり、開業にあたり銀行から借り入れを行い、計算センターへの入会金の50万とコンピューター処理端末代80万円を支払い、契約書作成のための中古のタイプライターを購入しました。
 当時の会計事務所開業は、自室で開業するなど、資金ゼロで始めるのが一般的でしたが、私は事業としてとらえ、開業前に借り入れを行い、準備を整えたのです。

勝負時には惜しまず投資する

また、開業当時、顧問先はまだたったの1社だけでしたが、私は職員をひとり雇いました。このエピソードを同業の税理士の方にすると皆一様に驚かれます。何故ならば、独立した税理士は通常、お客様が20社~30社くらいになるまでひとりで対応するケースが大半だからです。
 そして、対応しきれなくなった時点で職員を雇うのです。でも私はそのやり方は違うと感じていました。内部の事務作業は職員に任せて、自分の得意なことに、自分にしかできないことに集中しようと決めたのです。それで私は営業に特化しました。
 結果、顧問先の数のみならず、職員数、そして事務所の面積も大きくなってきました。さらに業務内容も決算書・申告書作成サービスのみならず、相続対策、事業承継まで手がけ、先行投資としてシミュレーションをすることができるコンピューター(1台あたり1000万円)を5台購入しました。
 当時、どれだけ大きな事務所でもせいぜい2台用意するのが精いっぱいという代物でしたが、コンピューターの台数により仕事量が制限されてしまうのは機会損失だと考えたのです。振り返れば、「ここだ」という勝負時には一気にお金をかけてきたのだと思います。
 そして、開業から15年目には顧問先企業が300件を超える地元で最も大きな規模の事務所になり、全国から当事務所に多くの見学者がいらしてくれました。
 そこで、私はただの見学会にしてはもったいないと思い、会計事務所経営の成功ノウハウをおしげもなく詰め込んだ「経営スクール」を開校しました。150万円という参加費にもかかわらず、多くのお客様が喜んでくださり、売り上げとしても10億円を計上しました。

開業2年目、年商200万円の時に4500万円の土地を購入

ここでちょっと話が脇道にそれますが、ひとつ面白いエピソードを披露したいと思います。開業2年目の時のことです。まだ年間の売り上げが200万円でしたが、300坪、4500万円の土地を購入しました。とあるお客様が土地を売りたがっておりまして、「誰か買ってくれる人はいないか? できれば紹介してほしい」と相談を持ちかけられていたのです。
 私は「では、まず場所を見てみましょう」ということで、そのまま自転車に乗り、その土地を見に行きました。これが非常に素晴らしい場所で、私は見た瞬間に、欲しいと思ったのです。
 しかし、先述したとおり、売り上げは年間で200万円です。4500万円の土地を買うにはまるで手が届きません。それを承知で持ち主にお願いに行きました。そして、土地を3分筆して100坪ごと順番に購入させてほしいと持ちかけたのです。すると、持ち主の方はそれで了承してくださったのです。
 詳細は次号以降に譲りますが、ひとつ言えることは、私がまがりなりにも経済的に成功したポイントはこのエピソードに象徴的に集約されていると、今では感じております。

一時的な売り上げより継続収入を選ぶ

地元での成功をおさめ、その後、社員を二人連れて東京へ進出し、平成元年に会計事務所に特化したコンサルティングを主な事業とする株式会社エヌエムシイを東京に設立しました。
 報酬がなかなかあがらない、顧客が増えない、職員が定着しない、育たない、そして長時間労働……。多かれ少なかれ、全国どこの会計事務所も抱えている問題を解決するために、私は会計システムの開発に着手したのです。  インターネットがない時代に、通信で会計事務所とお客様が繋がるという会計システムは日本初でした。そのため新聞、雑誌、テレビなど様々なメディアで取り上げられ、ニュービジネス協議会より「ニューアイディア賞」を受賞。さらに、当時の通商産業大臣から特定新規事業の認定がなされ、労せずにして、1台1000万円もするシステムが飛ぶように売れ、年間売上高も25億円を突破しました。
 この時、システム本体の代金としての1000万円の他に、システムの使い方や不具合に関するお問い合わせ窓口としてサポートセンターを開設し、その利用料として月額1000円をいただいておりました。
 このサポートセンターが非常にコストがかかるため、とある会社に外注し、月額利用料金の1000円の権利ごと譲り渡す準備をしておりました。とにかく飛ぶように1000万円のシステムがうれるわけですから、月額利用料1000円のために、人手やコストをかけるのはもったいないと考えたわけです。
 しかし、外注したサポートセンターのオープン前日に、私はこの案をひっくり返したのです。つまり、サポートセンターは自社で運営する、ということです。最後の最後で、1000万円の一時的な売り上げよりも、たったの1000円ですが、毎月継続的に入ってくるお金の価値に気づいたのです。このエピソードも詳細な解説は次号以降にお伝えします。

システム開発の失敗による窮地

長年経営をしていると、必ず資金繰りで窮地に陥る時があるものです。私の場合も例外ではありませんでした。それは、パソコンのOSがDOSからWindowsへと変わった時のことでした。私どものシステムはDOS版でしたので、Windows版にソフトを作りかえる必要がでてきたのです。
 DOS版は町の小さなソフトウェア会社と共同で開発しましたが、今度は開発資金に余裕があったこともあり、当時2部上場の大きな会社にシステム開発を委託しました。
 ところが、システムが完成してもバグだらけで思うように動きません。結果として、システムがきちんと完成するまでに時間だけが過ぎていき、ソフト発売の機会を失ってしまいました。
 また、ITバブルの崩壊も重なり、売上高はピーク時の3分の1になってしまい、Windows版の開発に費やした20億円が借入金として残ってしまいました。そして、銀行からの貸し渋り、貸し剥しにもあい、非常に苦しい時期を迎えました。
 もっとも多い時で24億円にものぼった借金をどのようにして返したのか。当然のことながら私自身の報酬はゼロとし、その上で徹底的な経費の削減を行い、7年かけて返済していきました。

「サービス業」としての会計事務所

その後、平成14年には税理士法の大幅改正があり、広告の解禁もなされたこともあり、エヌエムシイ税理士法人を東京に設立しました。
 旧来の会計事務所は、料金体系やサービス内容の範囲が曖昧であり、サービス業という意識が非常に希薄でした。言い値で顧問料が決まってしまうこともしばしばあり、私は常々、違和感を抱いておりました。
 「会計事務所の仕事をサービス業に転換する」というコンセプトのもと、料金体系とサービス内容の明確化を行い、殿様商売からサービス業へと転換させ、その上で、3年で1億円のプロモーション費用をかけて、結果的には、3年で600社~700社のお客様にご契約をいただくことができました。
 そして、現在はグループの収益の中心を占める会計ソフトのバージョンアップ(クラウド版)の開発に、すでに5億円をかけております。

私の実践したお金の使い方5つのポイント

このように、今日に至るまでの42年間の私の経営者人生を概観してきましたが、その中で私自身の「お金の使い方」を振り返ると、いくつかのポイントがあることに気が付きました。
 それは、キーワードにすると、

  • 一時的収入と継続収入
  • 自力で解決できないものを深追いしない
  • 余裕資金は換金性の高いものにかえておく
  • 成功ノウハウを商品化する
  • 良い借金をする

というものです。
 次号以降、各々の項目について私の経営者としての実際のエピソードをもとに、お伝えしてまいります。

昭和48年に銀行から借入をして購入した
当時80万円したコンピューター処理端末機

税務総合戦略室便り 第48号(2013年07月01日発行分)に掲載

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