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成功者になるための法則その5-1 
古希(1)自分を信じ、自分で成功をつかむ

第53号(2014年02月01日発行分)
エヌエムシイ税理士法人 会長・税理士
野本 明伯

平成26年1月5日は、私の70回目の誕生日でした。「古希」を家族全員でお祝いをしてもらいました。
 翌6日は仕事始めでした。何も知らされていませんでしたが、出社してみると、社員全員が会議室に集まり、盛大なお祝いパーティの準備がなされていたのです。パーティの様子は、いわき市の事務所にもインターネットの映像でつなげて、生中継されました。
 たくさんのお祝いの言葉をいただきました。みんなが見守るなかでケーキに灯されたロウソクの火を思い切り吹き消すと、大きな歓声と拍手がわき起こりました。

70歳にして、夢の途中

まさか、自分が70歳まで仕事をしているとは思っていなかった、それが正直な実感です。
 40代、50代のころ、私は「60歳を過ぎたら引退して違う仕事をやるんだ」と言っていました。しかし古希を迎えたいま、引退の気持ちがまったくないことに驚きます。まだまだ、事業拡大への欲望が、私の人生の大きなエネルギーになっているのです。
 「たくさんの苦労をしましたね」と、よく言われます。一時は24億も借金があって返済に四苦八苦したこともありました。しかし、そういうときでも、私は悲観していませんでした。それなりに楽しんでやってきました。
 70年にわたって失敗はいろいろとありましたが、不思議に大きな挫折感というものを味わったことはありません。行き詰まってどうしようかと思った経験は一度もありません。そういう意味で70年間、自分なりに幸せな人生だったし、自分なりの満足がある人生でした。
 しかし、ではこれで終わりにしよう、という気にはならないのです。このあと15年は、仕事をやっていきたいと思っています。
 現在の会社で私がやるべきことは終焉に近づいてきています。そのあとは会社を他人に任せ、私自身は42年間の経験で描いてきた私なりの「理想の経営」を実践してみたい。そんな気持ちがあります。
 古希を迎え、私はまだまだ夢の途中にあります。

経営者にとって「成功」とは

たしかに私は、成功をつかんできたと思っています。
 成功感というのは、一人一人違いがあると思います。自分なりの成功をつかんでいくことが大切なのです。
 たとえば、何をもって成功とするかも人によって異なるでしょう。文学者、画家、音楽家の成功は、私たち経営者の成功とは違います。
 私が考える「成功」は何か。
 42年にわたって企業の会計を見てきた私は、経営者にとっての成功とは正に「素晴らしいお金儲けを継続して実現し、社会貢献を行ってきた人」に尽きると思います。
 経営数値は、企業が行っている事業の結果がすべて現れる世界です。そこに企業の価値がすべて現れます。
 一か八かの博打のような事業で偶然あぶく銭を手にしたとしても、それは成功ではありません。成功とは、どんな人にとっても、それぞれの目標を前もって設定し、段階を追って実現していく姿なのです。偶然に手に入れるものではないのです。
 そういったわけで、経営者にとっては、5年先、10年先の経営計画を策定し、それを実現していくことが成功と言えるのです。
 そして、経営者にとっては、全てが経営数値に現われてくる厳しい世界なのです。

道のりを振り返る

では、私はなぜ成功者になることができたのでしょうか。なぜ、お金儲けの継続がうまくできたのでしょう。
 これは、私の「ケース」なのです。もちろん、これを読んでくださっているあなたのケースもあるし、隣の方のケースもある。成功とはそういうものです。
 成功は、他人と比べても仕方ありません。その人その人の成功を大事にしなければいけません。そのことをわかっていただくために、古希を機会に、私の歩いてきた道のりを振り返ってみたいと思います。

私の幼少年期

私は物心つくころから、束縛されることが大嫌いでした。
 物心つくころ、私は母親に連れられて毎朝、今で言う保育園に通っていました。しかし私は、そこが大嫌いでした。保育園で、みんなと同じ遊びをするのがイヤで仕方ありませんでした。それで私は毎日のようにお昼前には園を脱走し、一人で家に帰ってきてしまうのです。家まで、大人の足でも歩いて30分くらいかかるところでした。
 小学校でも同じでした。学校へ行きたくない。不登校です。いつも親に引きずられるようにして、泣きながら学校へ通ったものです。中学生のときも学校がいやで、家に帰りたくて、よく勝手に早退してきました。

大学の成績、「優」はひと桁

私は、机に向かってじっと何時間も勉強していられません。そのためか、大学受験は3浪しました。
 大学受験にあたって、将来への明確な目標を持っているわけでもありませんでした。最終的に早稲田大学の商学部と法学部に合格しましたが、どちらの学部に行くかの選択もいい加減でした。
 当時、早稲田の商学部では形式的な面接試験がありました。面接終了後、私は試験を手伝っていた学生に尋ねました。
「商学部と法学部では、どっちが楽ですか?」
「そりゃあ、商学部だよ」
 それで商学部に決めたのです。結果的にこれが税理士受験を受け、現在までの道を歩む重要な分岐点になったわけですが、当時の関心は、「どっちが単位を取るのが楽か」にすぎなかったのです。
 大学に入ってからも変わりません。同級生の友人はみんな「優」の数を競い、話題にしていました。その数が、就職に重大な影響があると言われていたからです。
 しかし、幼稚園のころから組織の一員になれなかった私は、会社勤めこそ「最もしたくないこと」でした。だから、とにかく「可」さえ取って単位がもらえればOK、「優」を取るためにつまらない授業にも出席し、眠気をガマンして90分も拘束されなければいけないなんて、考えられないことだったのです。
 結局、大学卒業時の私の「優」の数は一桁でした。

会計事務は自分には合わない

大学を卒業してからも、まともな就職はしたことがありません。
 私は大学四年生のときに、旅先で偶然に知り合った日本大学のある教授から税理士試験を受けるように勧められ、結局足掛け4年に及ぶ税理士受験をスタートしました。卒業してからは、会計事務所に勤めながら勉強をしていました。
 ところが、どこの事務所へ行っても、自分にとっては仕事が合わないのです。こんな仕事をやるために、難しい税理士試験の勉強をしなければならないのか。これが、会計事務所で働きはじめたときの私の第一印象でした。それで自分にとって耐えきれず、すぐに退職してしまうのです。卒業後の2年間で、私は会計事務所を4カ所も移っています。いちばん短いのは2カ月でした。
 振り返ると、独立開業して今年で42年、自分に合わない仕事を一生の仕事に選んでしまったことが、結果的に私の成功の要因になったのです。その理由は、また後述したいと思います。

組織の歯車になれない

私は、組織に勤めることができない人間です。9時から5時まで拘束されることが耐えられません。幼稚園を毎日脱走したのも、小学校を登校拒否したのも、そこで自由を奪われるのがイヤだったからでしょう。
 それは今でも、変わりません。社長ですから出社時間などは自由ですが、いちおう「9時から6時までは会社にいるようにしよう」と自分で決めても守れたことは1日たりともありません。
 考えてみると、父親も拘束を嫌い、小説や俳句を創って自由自在に生きた人でした。また私の二人の子どもも、私と同じ様な生き方をしています。これが我が家のDNAなのかもしれません。これからも息子たちには枠にはまらず、個性豊かな生き方をしてもらいたいと願っております。

「直感力」と「任せる力」

決して優等生ではない私は、なぜ成功の道を歩むことができたのでしょう。たしかに「自分は少し違う」と思うことはいくつかあります。
 いちばん大きいのは「勘が良い」ということです。直感力は、人よりも優れているようです。
さまざまな人物や物事の本質を、瞬間的に、直観的に、見抜く力が私には長けています。ふつうの人が8時間かかる仕事も、ポイントを見極めて、1時間で片づいてしまいます。そのあと作業が残れば、それは手分けして人に任せてしまえば終了です。私はおそらく、小さいときからそういうことばかり考えていたのだと思います。
 会計事務所の事務は自分に合わないとわかると、その合わないところは他人に任せる、そして自分の得意分野、好きな分野だけをやる。
 たとえば、営業や経営計画の立案、人のマネジメントなどは通常、会計事務所の人たちが苦手としているところでした。私はそこを42年間にわたり突き詰め、経営という視点から会計事務所をながめてきました。これが現在の成功につながったと思っております。
 とくに重要なのは、自分の勘を素直に100%信じてすぐに行動できる、ということです。たとえ常識的には「99%失敗する」と思われることで、100人の経営者がいたら1人もやらないようなことであっても、私自身のなかで「これだ!」という直感が来たら、私は迷うことなく行動します。それもおっかなびっくりではなく、ニコニコして行動します。そういうとき、私は本当にわくわくして、子どものように目を輝かせています。

諦めなければ、必ず成功する

もちろん、そうやって直感を信じて行動しても、結果は失敗だったということもあります。むしろ失敗の数のほうが多かったのです。
 しかし、失敗のない成功はありません。4回続けて失敗したとしても、5回目に成功し、その成功が過去4回の失敗を取り返して余りあるならば、結果的にそのチャレンジは大きな成功をおさめたと言えるでしょう。
 たとえ失敗しても、悲観する必要はまったくありません。成功するまで諦めなければ、誰でも必ず成功するのですから。
 私は24億円の借金を背負いましたが、また自分の直感にしたがって楽しくやっていれば必ず成功すると信じておりました。だから、何も心配しなかったわけです。
 そうやって自分を信じて生きているから苦しいときも精神的に心理的に暗くならないし、元気が弱まらないのだと思います。経営者の前向きな姿勢やいつも変わらない元気は社員に伝染しますし、取引先にも伝わります。自然に味方が増えるのです。
 それが結局は私の事業の成功に、お金儲けに、つながっていったような気もします。

銀座シェ・トモ オーナーシェフからプレゼントされたバースデープレート

税務総合戦略室便り 第53号(2014年02月01日発行分)に掲載

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