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成功者になるための法則その5-2 
古希(2)素直に、自分を大切にする

第54号(2014年04月01日発行分)
エヌエムシイ税理士法人 会長・税理士
野本 明伯

前回に引き続き、古希の節目にちなんで私自身の半生を振り返ってみることにします。
 成功とは、一人一人の人生にそれぞれの模様で描かれる、きわめて個性的な自己実現の結果だと思います。しかし同時に、成功者には共通する要素というものもあります。
 70歳を迎え、私は「自分は成功した」と思います。そしてその成功は、今後の自分の人生でもさらに続いていく確信を持っています。だから引退はありえない、生涯現役で私は自分の人生をこれからも歩んでいくつもりです。
 成功者の道というのはそのように、過去から未来へ、必然的に通じているものです。運も人もお金も、気がついたらみんな周りに寄って来ていた、そんな感覚です。それは、私たちが生きているこの宇宙の法則がそうなっているからではないか、としか思えないくらいに法則的です。
 人生はそれぞれで、何が成功かは人によって異なっていたとしても、成功者はそうした普遍的な成功法則を身につけているものだと、私はこれまでの経験から確信しています。

 さて、前回は私の幼少期から青年期までを振り返りました。拘束されるのが嫌いで、デスクにしがみついて事務を行うことができない私は、たまたま税理士への道を歩み、どうなっていったのでしょうか。

郷里の自宅で野本会計事務所を創業

大学4年生からスタートした税理士試験の勉強は、4年間の苦労のすえに合格を勝ち取り、晴れて税理士資格を取得することができました。
 1973年(昭和48年)、28歳のとき、私は東京を引き上げて故郷のいわき市に戻りました。引っ越しのトラックの助手席に乗り、実家の前に着いたときは、薄暗くなっていました。荷物を降ろしているとき、一本の電話がかかってきました。それが最初のお客様でした。
 それから数日後、自宅の玄関に「野本会計事務所」の看板を掲げました。六畳一間からのスタートです。これが現在のエヌエムシイのすべてのスタートでした。
 私はまだクライアントが1件しかなかったにもかかわらず、即座に従業員を雇いました。会計事務所に勤務したことのある女性で、会計事務所としての基本業務はすべてその子に任せてしまったのです。
 当時、意識はしていませんでしたが、これは私の資質が税理士ではなく、経営者にあることを示すエピソードだと思います。1件のクライアントの会計業務でさえ私には向いてなかった、だから、実務は人を雇って任せ、自分は自転車に乗ってお客さんを訪問したり新規のための営業をしたりしていたのです。
 このやり方は成功したようで、お客さんは順調に増えていきました。もともと税理士には向いていない人間が税理士事務所を始めたのですから、それだけで従来の税理士事務所の方向性や価値観とは違っていたのでしょう。自然に差別化ができていたのだと思います。
 おかげで15年後には年商4億円を上回る、いわき市でいちばん大きな会計事務所になりました。

 

会計事務所は大成功を納めたが……

会計事務所の所長としては、それで十分でした。税理士としては、それで大成功と言えるでしょう。しかし私には、地域の会計事務所としての成功では何か物足りないものを感じていました。そして、東京に出ていくことになるのです。
 東京に進出する2年ほど前から、いわきの野本会計事務所は全国的に有名になっていました。ちょうどバブルの時期で、相続税が大きな問題となっていた時代でした。それに目をつけて行った相続税対策がお客さんに非常に喜ばれ、事務所経営がさらに拡大していきました。
 私は、全国から訪れる会計事務所の所長さんや幹部のみなさんに、自分たちのノウハウをすべて公開しました。持って帰ってそのまま使えるようにして、差し上げました。そのノウハウは経営者のビジネス感覚としては当然のものだったはずですが、ほかの会計事務所にはなかったのです。当時、経営者の感覚を持った税理士はほとんどいませんでした。
 「これはビジネスになるかもしれないな?」
 私はそう思いました。全国の会計事務所を対象にセミナーのビジネスを行うなら、東京のほうが便利に決まっています。私は、いわきの野本会計事務所の仕事はすべて従業員に任せ、スタッフを二人連れて東京で会社を設立しました。私が42歳、開業して15年が経過した1988年(昭和63年)のことでした。

苦悩の15年間

東京の事務所は「株式会社エヌエムシイ」とし、「会計事務所経営スクール」というセミナーを開いて運営を始めました。また、会計事務所業務の合理化のために専用の会計ソフトを開発しました。こうして次の15年間、私は東京に進出して、会計事務所のビジネスを変えていく提案を続けたわけです。
 当初は、非常に順調でした。3年後の1992年には、グループの売り上げは30億円を超えました。ところが、間もなく躓きました。
 開発した会計ソフトは、まだウィンドウズが世の中を席巻する以前のMS-DOSというオペレーション・システム(OS)を使っていました。その後、ウィンドウズが登場してから、パソコンは急速に広まり一般化していったわけです。
 弊社の会計ソフトも、もちろんその波に乗り遅れてはいけません。当初十数億円をかけて開発したシステムでしたが、3年を経過して、今度はさらに20億円をかけて、ウィンドウズ用のシステムにつくり直すことにしました。
 もしも開発が順調に進んでいたら、弊社はそのまま株式上場していたはずです。実際、そのころ弊社は監査法人を入れて上場の準備をしていました。しかし、その矢先に頓挫してしまいました。ウィンドウズへの乗り換え開発が、大きな失敗となったのです。
 完成したシステムを会計事務所やその顧問先企業にセットすると、あちこちで不具合が出てきました。苦情が殺到し、会計事務所にも企業にも迷惑をかけました。その対応だけでてんやわんやで、とても借金した分を回収できるような状態ではありません。
 そのころは社員が200名くらいにふくらんでいて、その人件費も大きく経営を圧迫しました。若かった私は、社員がたくさんいる会社が大きな会社だ、成功した会社だと、誤解していたのです。また、現在入居しているツインタワービルの2フロアを借りていました。
 借金は最大で24億円くらいになりました。まわりでは「エヌエムシイは倒産するのではないか」と囁かれていました。しかし、私自身はそんな心配はまったくしていませんでした。

新しい税理士法人の15年間

2002年(平成14年)、株式会社エヌエムシイはいよいよ追い詰められていました。このままでは本当に会社が立ち行かなくなってしまう。私は「何か新しいビジネスを始めなければならない」と考えました。
 私は「原点に戻ろう」と考え、東京での新しい会計事務所のオープンを決断しました。「エヌエムシイ税理士法人」の誕生です。
 しかし、原点に戻るのはいいが、これまでの会計事務所のサービスをいくら提供したところで、お客様を獲得することはできません。喜んでもらうこともできません。そこで私は、会計事務所の新しいビジネスモデルを考えました。
 結果としてこれが当たり、エヌエムシイ税理士法人は3年間で300件の新規のお客様を獲得できました。その間、並行して進めていた会計ソフトの修正も軌道に乗り、システムはようやく安定してきました。振り返ると、もしこの税理士法人の利益がなかったら、株式会社エヌエムシイの資金繰りはもたず、システムが再生する前につぶれていたかもしれません。
 税理士法人の設立後6年で、負っていた借金はすべて返済しました。税理士法人は、さらに現在も新しいビジネスモデルにチャレンジし、大きく成長を続けています。

税務の総合病院

そして2011年(平成23年)から始めたのが、「税務の総合病院」というコンセプトです。
 同じ税理士といっても、得意な分野はそれぞれ違います。一般企業の顧問税理士は法人税などのことは専門家であっても、たとえば国際税務や資産税のことはほとんど素人という場合が少なくありません。ところが、そういうところで困っている企業は、じつはたくさんあるのです。
 風邪を引いたら、みなさんどうしますか? おそらく、近くのかかりつけ医で診てもらうのが普通でしょう。しかし、そこでもしも呼吸器や循環器などに重大な病気が発見されたとしたら、かかりつけ医は総合病院の専門医に紹介状を書き、患者さんを送ります。大学病院や大きな総合病院の診療科には、そうした専門医がいて、手術などの専門的な(的確な)治療を行うことができるからです。
 そのような総合病院が、会計事務所の世界にはあまりありません。開業医ばかり、あるいは一つの専門分野に特化したクリニックばかりです。だから企業はもちろん、そこの顧問税理士も困っている、というケースはたくさんあります。
 そこで、エヌエムシイ税理士法人は、分野ごとにエキスパートを集め、来社されるクライアントさんが必ず適切な専門家のアドバイスが受けられるようにいたしました。また、現在の顧問税理士は変えたくないけど専門的アドバイスを受けたいと願っている企業様には、その道何十年という専門家の立場から「セカンド・オピニオン」を提供するサービスも行っています。解決策の実行は、顧問税理士と共同して行う場合もあるし、私どもで単独で進める場合もあります。
 現在、全国の企業から問い合わせや契約依頼が殺到しています。
 さらにこのほかにも、平成26年早々から別の新しいビジネスモデルもスタートさせ、こちらも大きな目標を掲げて順調に進み始めています。これも間違いなく成功していくでしょう。

そして人生集大成の節へ……<

いわき市の自宅からスタートした野本会計事務所は15年で区切りがつき、東京での会計事務所向けのビジネスも15年で区切りがつき、次の発展に向けてそれぞれ進んでおります。
 東京での税理士法人は、あと3年で15年になります。この3年間で新しいシステムやビジネスモデルを軌道に乗せ、さらにそのまた次の15年に備えているというのが、まさに現在の、古希を迎えた私なのです。
 そして、その先の15年で、私は自分の40年以上にわたる経験で得てきた「理想的な経営」というものを実践し、自分の人生の集大成としたいと考えています。
 これまで40年にわたるビジネスの世界で、私はたしかにいろいろなことを体験し、苦労もしてきました。また、たくさん失敗しましたし、借金も抱えました。でも、いまあらためて振り返ってみると、結果としてすべては「自分がやりたいようにやってきたなあ」という感慨に行き着きます。
 私は、それぞれの成功とは、そういうものではないかと思います。自分自身を大切にすることです。たとえ自分の資質には合っていない職でも、角度を変えて眺めて見れば自分の特長を生かす面があります。そこに自分を精一杯表現してみるのです。
 組織に適応できないという私の資質は、ある面から見れば短所ですが、それを長所にすることもできます。それは素直に自分を大切にすることから始まると思うのです。

37年前(1977年)の事務所風景

税務総合戦略室便り 第54号(2014年04月01日発行分)に掲載

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